2008年12月27日

瀬戸神社

sjin.JPG瀬戸は日本人の姓の一つです。国語辞典では海峡とか小さな海(入り江)、川の狭まったところと説明されています。明治8年平民苗字必称義務令公布以降それまでの名字を改めて、地名や地元の有力者名をつけたり、あるいは僧侶・名主に頼んで適当に付けてもらったようです。つまりそれ以前の先祖伝来の名を名乗っているとは限らないようです。もしも菩提寺に過去帳があるようでしたら、そちらで確認できると思いますが、多くの場合火災や騒動などで消滅しているために困難のようです。

瀬戸神社は、1180年源頼朝が加護をいただいた三島大社を金沢区瀬戸に勧請(かんじょう)して社殿を建立したので瀬戸三島明神とも呼ばれています。金沢八景の近くで、国道16号線に面しています。スーパーダイエー金沢八景店と契約して駐車場を確保するあたりは、現代的な感覚で商売の神様かなと思ったりもします。

源頼朝は伊豆に流刑後再興のチャンスをうかがっている最中、北条政子との出会いが運命を変えるきっかけとなったのでしょう。平清盛の命を受け伊東祐親は頼朝の監視役だったが、頼朝はその目を盗んで祐親の娘八重姫と通じて子をもうける。これに激怒した祐親に追われて逃げ込んだ走湯権現で北条時政に匿われて事なきを得るが、そこで政子とできてしまうのであるから「逆玉」の元祖的存在とでも申しましょうか?しかも伊東、北条の父親は平家の怒りを恐れて二人の仲を許さなかったことを思うと、頼朝の情熱は親の教えさえも打ち砕いたとも言える。伊東祐親の地元は現在の伊東市からすると、名字が先か知名が先かわからなくなってしまう。しかしそれにより、鎌倉幕府を作り征夷大将軍となるわけですが、ライバルとなる者は、例え血族であっても容赦しなかった冷血漢は、女房の政子が大変嫉妬深かったことへのストレスを政治や権力に振り向けた効果なのでしょうか?

瀬戸の地名は、海から遠く離れた岡山県瀬戸町愛知県瀬戸市 もあることから、海と切り離して考えても良いようです。他にも、とくに川に沿った地域にその地名を見つけることがあります。

瀬戸神社 伊東祐親 源頼朝

日本の苗字7000傑の457番目にあります。

瀬戸農場

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