2009年1月 5日

コンビニと高速道路

tatu.JPG今から35年前の1974年に日本初のコンビニエンスストア(コンビニ)が、イトーヨーカ堂によって東京の豊洲に誕生したという。アメリカのサウスランド社とのライセンス契約によるものらしいが、現在では形勢が逆転してアメリカの法人を子会社化してしまったというからセブンイレブンの勢いは凄まじい。営業当初は朝7時から夜11時まで営業していたのでセブンイレブンのようですが、最近では24時間営業は当たり前なのに、公的機関から環境問題に配慮して、営業時間の自粛が取りざたされたりして、とんだとばっちりも発生している。

その多くは、個人事業主のロイヤリティ契約で運営されているので、スクラップアンドビルドも激しい。三ヶ月前に利用した店目指してひた走って着いてみれば看板が無い・・・・と思ったら、新しい店がすぐ近くに開店している。それほど厳しい世界を、官僚諸氏は理解しているのだろうか疑問が残る。天下り先の開拓や開発に明け暮れるキャリヤには理解できかねる実態を知らしめる手段は無いものか??

高速道路も民営化されてから、PAやSAにコンビニが増えてきている。写真は中央高速道路の下り線辰野にあるコンビにですが、以前は信州らしくソバが売りでした。場内が狭いので、時間帯によっては大型車の仮眠でかなり混雑しています。

環境的には独占企業ですから、それなりの販売量はあるのでしょうが、逆に考えると対象者が限定されますので・・・・・・・・如何なものでしょうか。

コンビニのあるPA SA

2009年1月 3日

年賀状

nenga.JPG1㎝ほどの新雪で新年を迎えました。新潟と言えば1mを越す大雪を想像される方も多いと思いますが、地球温暖化の影響もあるのでしょう、燕市の付近では近年30cm以上の積雪は経験しておりません。ビニールハウス等への影響を考えると、小雪のほうが助かります。


旧年中は多くのお客様から農場の農産物をご愛顧頂きまして誠に有難う御座いました。平成21年度も安全と安心を最重要課題として米や野菜の生産に取り組んで行く所存であります。変わらぬご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

近くにお越しの節は粗茶の一杯も飲んでいただきたいと思っておりますので、是非お立ち寄り下さい。


皆々様のご健勝を越後平野からお祈り申し上げます。

2009年1月 1日

瀬戸観音

skan.JPG本栖湖を左手に見ながら国道300号線を進むと、峠を下りはじめたところで身延町(旧下部町)に入る。瀬戸観音は、甲斐108霊場の第98番龍湖山方外院と申し曹洞宗の寺です。本尊の如意輪観音は元々本栖湖付近にあったものを、武田信玄公が深く帰依し立地条件の良い所に移すよう地頭に命じたが、実際に移転されたのは信玄没後の1597年であったという。元々甲斐武田の重鎮でありながら、長篠の戦では織田信長の軍勢に加担して配下に付いた穴山梅雪の領地であった瀬戸の地に何故移されたかは不明です。

安政の飢饉の折に奉納された千匹馬の額は有名で、一月十八日には観音像のご開帳が行われています。馬の霊を鎮めるために、一人一頭の馬を奉納せよと言われたが、馬の代わりに額を奉納して怒りを鎮めたという言い伝いは、切実な農民の願いが伝わってくる。

2008年12月28日

雁木(がんぎ)

gan.JPG雁木は今で言うアーケードとでも申しましょうか。雪国とくに新潟県の高田(現上越市)のそれは有名で、雪深い地域の歩道として重宝なものです。写真は長野県の飯山市の雁木通りですが、役目は同じです。しかし最近は俗に言うシャッターどおりが増えて、衰退の方向にあるようです。

国道が狭くなってバイパスが作られ、更にバイパスが作られて行きます。この段階で旧商店街は忘れられて、道幅の広い新しい商店街へと移動していきます。最近では郊外型のショッピングモールが出来て益々商店街は衰退し極端な場合廃業に追い込まれているようです。車中心の社会構造にもはや駐車場無しでは成り立たなくなっている。

もっともこれは田舎の話で、大都市圏では相変わらずデパートが商圏の中心であることに変わりは無いようです。車の購入費用よりも、毎月の駐車料金がかさむようでは、自家用車に用は無いでしょう。地下鉄・電車・公営バス・タクシーと足に不自由はありません。これを悪用して【居酒屋タクシー】等と変な造語が生まれてしまいました。

最近高田の雁木通りを歩いていないので、時間を作って散策してみようかな?と思ったりもしています。

2008年12月27日

瀬戸神社

sjin.JPG瀬戸は日本人の姓の一つです。国語辞典では海峡とか小さな海(入り江)、川の狭まったところと説明されています。明治8年平民苗字必称義務令公布以降それまでの名字を改めて、地名や地元の有力者名をつけたり、あるいは僧侶・名主に頼んで適当に付けてもらったようです。つまりそれ以前の先祖伝来の名を名乗っているとは限らないようです。もしも菩提寺に過去帳があるようでしたら、そちらで確認できると思いますが、多くの場合火災や騒動などで消滅しているために困難のようです。

瀬戸神社は、1180年源頼朝が加護をいただいた三島大社を金沢区瀬戸に勧請(かんじょう)して社殿を建立したので瀬戸三島明神とも呼ばれています。金沢八景の近くで、国道16号線に面しています。スーパーダイエー金沢八景店と契約して駐車場を確保するあたりは、現代的な感覚で商売の神様かなと思ったりもします。

源頼朝は伊豆に流刑後再興のチャンスをうかがっている最中、北条政子との出会いが運命を変えるきっかけとなったのでしょう。平清盛の命を受け伊東祐親は頼朝の監視役だったが、頼朝はその目を盗んで祐親の娘八重姫と通じて子をもうける。これに激怒した祐親に追われて逃げ込んだ走湯権現で北条時政に匿われて事なきを得るが、そこで政子とできてしまうのであるから「逆玉」の元祖的存在とでも申しましょうか?しかも伊東、北条の父親は平家の怒りを恐れて二人の仲を許さなかったことを思うと、頼朝の情熱は親の教えさえも打ち砕いたとも言える。伊東祐親の地元は現在の伊東市からすると、名字が先か知名が先かわからなくなってしまう。しかしそれにより、鎌倉幕府を作り征夷大将軍となるわけですが、ライバルとなる者は、例え血族であっても容赦しなかった冷血漢は、女房の政子が大変嫉妬深かったことへのストレスを政治や権力に振り向けた効果なのでしょうか?

瀬戸の地名は、海から遠く離れた岡山県瀬戸町愛知県瀬戸市 もあることから、海と切り離して考えても良いようです。他にも、とくに川に沿った地域にその地名を見つけることがあります。

瀬戸神社 伊東祐親 源頼朝

日本の苗字7000傑の457番目にあります。

2008年12月22日

お米の価格お米の値段

keiro.jpgお米の価格お米の値段は、品種・生産地・生産年度・等級など、条件によって変わります。
米穀年度は、11月1日から始まり10月31日に終わります。つまり、その間は新米ですから、10月10日に買ったお米が、前年度産でも文句は言えないわけです。それを過ぎると、古米になったり、古古米になったりします。
しかし農家からの産直米は、刈り取りが終われば、即日精米して、お客様にお届けいたすますので、新潟県の平野地域の場合、9月末日には、新米コシヒカリやこしいぶき、もち米のこがねもちを、消費者の食卓で味わうことが出来るわけです。
お客様の食べているお米が、高い米か?安い米か?その値段や価格の判断は出来ませんが、コメ価格センター (財団法人全国米穀取引・価格形成センター)の取引価格を参考にされてください。同じお米でも取引月日によって変動しますので、定期的に確認した方が宜しいと思います。この価格に、米屋さんや量販店の利益や経費消費税が加算されて、米の販売価格や値段がが決定されます。

食糧法で変わった、お米の流通経路
産直農家の米がなぜ安いのか?上図を見ていただけばご理解できると思います。
例えが適切であるかどうかは別問題として、自動車等の工業製品を工場から直接買うことが出来たら、おそらく市場価格の半値以下で手に入れることが出来るでしょう。しかし、実際にはそのようなことは不可能です。何故なら販売されていないからです。個人企業で手作りの自動車を販売しているメーカーもありますが、かなりの価格になっています。それは、大量生産と違ってコストがかかりすぎるからです。
お米も同じです。農家Aの値段と農家Bの値段は本来は違って当然なのでしょうが、JAの買い上げ価格が決定されていますので(価格形成センターにより)概算払いが出来るわけです。
お米は、下図のような流通経路で生産者から消費者の手に渡ります。食料管理法の改正で、農家も直接お米を販売できるようになりました。かっては「ヤミ米」と言われ違法なものでしたが、現在では合法であり問題はありません。

Google検索お米の値段 

Yahoo検索お米の値段

2008年12月20日

テフロン加工

  • tefu.JPGテフロンはアメリカのデュポン社によって1946年に製品化されたフッ素樹脂加工の商品名を指すようです。フライパンや鍋等の食器に使われて、あまりにも身近な存在なので気軽に使っていますが、実は固有名詞だったのかな?これに似た話があります。俗に「ユンボ」と呼ばれる建設機械はフランスのシカム社の油圧ショベルを指しレンタルのニッケンの登録商標となっています。その後技術提携した新三菱重工 (現・三菱重工業) の国産機にも同じ名前を付けたのが始まりです。国産第一号でありしかもその性能の良さから、業界では固有名詞を代名詞に使うようになりました。その後日立製作所・小松製作所・コベルコ・住友建機と多くの業者が製造販売するようになりました。しかし、固有名詞でありながら市民権を得たユンボは油圧ショベルの代名詞として一人歩きしてしまいました。それまでは

穴を掘る=ワイヤー式ショベル

均平にする=ブルドーザー

と持ち場は決まっていましたが、油圧ショベルの出現で一台二役の仕事をこなせるようになり建設業者にとって欠くことのできない建設機械となりました。今でもその存在は変わっていません。

あるときK製作所に油圧ショベルの積み込みに伺ったら「Kに積み込みに来てユンボはタブー」と忠告されました。何故?????と思ったのですが?????でした。今になって思えばライバル会社の機械を名乗られて気分の良いはずがありません。

話が横道にそれましたが、フッ素樹脂加工の代名詞にテフロン加工と言うのは、問題がるのか無いのか不明です。その製品により原爆の製造を容易にしたことを知ったときは驚きでした。耐熱性と耐薬品性に優れたテフロンは、薬品の輸送に大きな役割を果たしたのです。デュポン社の製品には農薬もあります、創業1802年の過去には三大財閥と言われたことのある会社日本では過去の三井・三菱・住友をしのぐ会社です。

それは別問題として、多くの会社でフッ素樹脂加工のフライパン等を製造しているが、6ヶ月くらいで焦げ付くようになってしまう。焦げ付かないが売りのフッ素樹脂加工ですが、260℃以上の温度になると劣化が始まるようです。と言うことは、煮物に使う鍋なら概ね大丈夫でも、フライパンの場合焼き物や炒め物の場合「空焚き」をすることもあるので、はげてしまう可能性は十分にあるわけです。最近では鉄ヘラも大丈夫とか謳っていますが寿命を短縮することを行っていることになります。

このように考えると、フライパンは昔ながらのステンレス、卵焼きは銅製、中華なべは鉄製と使い分けるのが一番なのでしょうか。

 

 

2008年12月14日

シャンプー&リンス

sya.JPG昔は石鹸で体も髪の毛も洗っていました。当然リンスなど無かった時代です。でも良く考えてみると、どこまでが頭でどこから額になるのか区別がつきません。とくに屋根が傷んできている人には境目の区別がさらに分からなくなってくる。しかし、そんなにデリケートに考えなくとも人体に悪影響は無いでしょう。石鹸で髪を洗ってそのまま顔を洗ったら便利で経済的なのではないですか?それなら、シャンプーで髪を洗ったついでに顔も洗って体も洗う、しかしシャンプーの値段よりボディーソープの方が安価なのでそれで兼用したほうが経済的かな?どちらにしても悩むほどの問題ではないでしょう。

そもそも「髪は女の命」とか言われた時代もありました。カラスの濡れ羽色なる黒髪は、つややかで日本人の誇りかと思っていたら、いつの間にか茶髪の女性が多くなって、風になびく黒髪の女性を見つけるのが困難な時代です。彫りの深い外国人には、金髪も茶髪の似合うでしょうが東洋系の顔には今一のように思っても、世の中の流れがそうなら仕方ない。美容院ではそれなりに褒め言葉でお客様に勧めているのでしょう、営業用に踊らされてとは申しませんがそれに近いものもあるのではないですか?身近な女性は、時折「白髪染め」をしていますが、ビニール手袋をはめて染料を髪に塗っていますが、この時素手で行ったらいかがなるのでしょう。手に付いた染料が落ちなくなる?手が荒れる?たずねてみたことも無いので不明ですが、もしも荒れるようなことがあったら頭皮は大丈夫なのでしょうか。

夏海水浴に行くと、紫外線にやられて体中の皮膚がはげてきます。しかし同じ紫外線に晒されても顔や頭皮は大丈夫です。それほど丈夫に出来ているということでしょうか。通常生活の中で体の殆どは衣服で保護されていますが、顔や頭皮はむき出しで一年中生活しています。そのおかげで大丈夫だとすれば白髪染めの薬品くらいでは犯されることも無いでしょう。シャンプーで全身を洗うか、ボディーソープで全身を洗うか焼酎のコーヒー割を飲みながら考えて見ます。

ブラジル移民100年

  • bu.JPG面積日本の約22倍
  • 時差マイナス11~13時間
  • 日系人約150万人
  • 世界一のコーヒー輸出国
  • 建設後40年で世界遺産に登録された都市がある
  • 南北アメリカ唯一のポルトガルを言語とする
  • 2008年日本人移住100年
  • 南の島に雪が降る

ブラジルはそんな国です。

世界の多くの国は港もしくはそれに近いところを中心にして首都が形成されて行くようです。それは海や川から新しい文化が運ばれてきたからでしょう。もちろん侵略も海から始まりました。ブラジルの原住民は俗に言うインディアンです。彼等の祖先はベーリング海峡を渡って来たといわれています。アラスカ・カナダ・北アメリカ・中米・南米の太平洋側にその足跡が多く見られるようです。ポルトガルの植民地から独立して、それ以前から栽培されていた「ブラジルの木」から採取する染料を輸出する大地主が多くありました。独立後も黒人の奴隷を使って大地主は成長して行きましたが、採取から栽培に変わり馬鈴薯・コーヒー・サトウキビ・胡椒が多く輸出されました。しかし輸送に時間と経費のかかる内陸部は手付かずで、場所によっては間口長さで土地を売買していた時も有ったくらいです。

当然所得格差も大きく、その解消のために首都をリオデジャネーロから、標高1100メートルの高原に遷都しました。リオデジャネーロは1808年のナポレオン戦争でスペインを追われた王子と女王は宮廷を移し連合王国とした歴史も有る土地です。リオ=川・ジャネーロ=一月からその地名が付けられましたが、入り組んだ海岸線を川と間違えたのでしょうか?コパカバーナ、イパネバ海岸の観光地は、プライベートビーチでもないのにトップレス姿の女性を多く見かける。

ブラジリアの建設は1956年から41ヶ月の急ピッチで行われた。当時の大統領ジュセリーノ・クビチェック氏の5年の任期以内に完成させる意図もあったと思う。お椀を伏せた形と起こした形を左右に配した国会議事堂は見ごたえがあります。完成後は、日本人の勤勉さが買われて、近郷での農産物の生産に便利が図られたそうです。しかし元来何も無かった高原ですから、人口も少なくこれといった産業も無い中、莫大な建設費の影響からブラジルは急激な経済の悪化となってしまいました。

南のリオグランデでは8月に雪の降ることもあります。積雪になることは無いでしょうが、南極に近くなるので当然といえば当然です。

ナイアガラの滝ヴィクトリアの滝 と並んで世界の三大瀑布のイグアスの滝は隣のアルゼンチンにまたがり、パラナ川の支流イグアス川の下流にあり、なだらかな流れの川から突然80メートルの落差となる滝は絶景で、虹が実に奇麗です。水しぶきのかかる遊歩道を歩いていると吸い込まれそうになる景観は言葉を失ってしまいます。

100年の時が流れて、30万人もの日系ブラジル人が日本に職を求めて生活するようになりました。主に自動車関係の製造業に従事する彼らは派遣社員が多く、経済悪化にともなうリストラでその生活を奪われようとしています。ブラジルの農業に貢献した日本人移住者、そして日本の自動車産業を支えた日系ブラジル人はこの先如何なる道を歩んで行くのでしょうか。記念すべきこの年に、苦渋の選択を迫られる人たちは、怒りの矛先をどこに持っていけばよいのか悩んでも悩みきれない実態がそこにあります。

2008年12月12日

猫の目行政

hana.JPG世界恐慌といっても過言ではないような経済の悪化した昨今、行政も決定的な解決策もなく苦難の毎日です。口を開けば「政権交代」を野党から突きつけられて「泣きっ面に蜂」とはこのことでしょうか?特別予算に10兆円だ12兆円だと簡単に口から飛び出してくるが、そんなお金どこから工面してくるの?本当に埋蔵金があるの・・・・・煙草税の増税と言いながら、JR駅構内は全面禁煙を決定、愛煙家には手痛い仕打ちではないでしょうか。国鉄清算事業団に煙草一本から一円の税金が徴収されているのに、この怒りをどこに持っていけば良いのか憤懣やるかたなしである。

その場しのぎで、いろんな政策を打ち出してくるが、しばらくすると違う方向に話しが進んでいる、まさに猫の目行政そのものです。

戦後の食糧不足の頃、農魚村票の多くは社会党や共産党の議員に流れていた。彼らは農村の代表として、価格の決定に貢献していたので当然と言えば当然の流れであった。その後、食糧管理制度に基づき米価審議会を経て生産者米価が決定されるようになり、その上に政治加算を自民党が行うようになってから、農山漁村は自民党にとって大票田になって行った。有権者も、頼めば上がる価格にその依存度を高めて行った。しかし、米不足から米あまりの時代に移り米の統制は食糧法により実質解除されて自由市場になり、政府米なる名前のお米は無くなった。しかし、なくなっても自主流通米の価格は限度内で国が決定しているのが実態である。今年の秋も衆議院解散を見込んで、昨年より2000円ほどの上乗せが行われた。しかし、解散の顔はその時期を見誤って、未だに予定も無いようである。

この時期、決定的な打開策は無いでしょうが、マスコミは毎日のように「リストラ」を取り上げ、年を越せない・住む家が無いと騒ぎ立てる。国民はいっそう危機感を深めて行くだけしか能がない状態である。

猫の目行政が悪いのか、それに踊らされる有権者が悪いのか「あなたと違うんです」とタンかを切ってその座を明け渡した総理大臣も居る。立つ鳥跡を濁さずであって欲しかったと思うのは小生だけだろうか。日本丸の船長さん間違った方向に舵を切らないで下さい。